
長々と続いてきた
コードギアス感想も一先ずこれで終了です。
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私が作品を評価する上での基準を、
ギアスを引き合いに出して語ってみようかと思います。
まず、私にとって娯楽作品に必要と考えているのは、
『笑い』『闘争』『意外性』の三つですね。
まず『笑い』ですが・・・ここで重要なのは変人の存在です。
まともな人間がギャグやるより、
変人が変人らしい発言をする方が数段面白いのです。
そして、シリアスになっても、変人はその個性ゆえに、
まともな人よりも数段上の魅力を発揮する場合が多い。
ゆえに・・・変人とは物語の宝石であり、無くてはならない存在なのです。
私が娯楽作品を鑑賞するのも、
基本的には色んな変人を探し出す為です。
変人は素晴らしい。道化は王侯(主役)に勝る。
コードギアスですが、この分野については今ひとつと言わざるを得ない。
ルルーシュは主人公でありながら極上の道化ですが、
今作の変人はほとんど彼一人だけで担っている状態なのです。
その他の登場人物は、物語上の駒であり、
与えられた役割を果たすだけの存在に終始してしまっているんですね。
最も、これは短所であり長所なのですが・・・これは後ほど。
期待していたジェレミアやニーナ、ロロまで真人間に戻ってしまい、
何とも寂しい事になりました。
十段階で評価するならば、平均より少し下の星5ですね。
ちなみに、ガンダム00は星7、らきすたは星8、ぱにぽにだっしゅが星10です。
次に『闘争』。
やはり、闘争こそ物語の華。戦いが無ければ面白くない。
しかしここで重要となるのは、
闘争に付き纏う、悪意、敵意、害意、殺意といった感情。
ある種のサディスティックな狂気、
これが私にとっては実に魅力的な要素となる。
闘争が主体の作品において、
敵を許したり、悲しんだり、同情したりするのはどうにもつまらない。
そんな温い感情は不純物でしかない。
一度反目したからには、徹底的に否定しあい、傷つけあい、殺しあうべき。
それでこそ、登場人物たちの狂気は最大限まで引き出され、
より魅力的な存在へと昇華されるというもの。
コードギアスはこの分野においては本当に素晴らしい。
ルルーシュがロロを騙してボロ雑巾扱いするのも、
ニーナがゼロを憎悪するのも、
ロロがシャーリーを殺したのも、
スザクがルルーシュを罵り踏みつけるのも、
黒の騎士団がルルーシュを放逐するのも、
どれもこれも見ていて心地が良い。
対象がどちらかという事はあまり関係ない。
この憎しみ合う関係こそが大事なのだ。
逆に言えば、被害を受けても
甘んじて許してしまえるような性格の持ち主は
実につまらない存在だという事になる。
しかし、ジェレミアが寝返ったり、ニーナが真人間に戻ったりと
特に終盤辺りは随分失望させられる事が多かったですね。
マイナス2で星8としておきましょう。
最後に『意外性』。
読者&視聴者の想像の裏を掻く事。
普通ではない事。王道ではない事。未知である事。新鮮である事。
そういう意味では『異常性』と言い換えてもいいかもしれない。
全くいなかったタイプのキャラクター、というのも含まれる。
で、コードギアスはこの分野においても素晴らしい。
毎回毎回、視聴者の予想を裏切る事を
目的としてシナリオを組み上げてくる。
これだけ驚かされ続ける作品を他に知りません。
これについては全くと言っていいほど隙が無い。ゆえに星10
意外性を演出する為だけに創り上げたといってもいい物語設定。
キャラクター造型においても、
意外性のために設定されたキャラも数多い。
上でも触れましたが・・・
この場合、キャラクターの個性が薄いのが逆に長所となる。
先入観を抱かせるような人物造型をして、
意外な行動を取らせて度肝を抜くのはもはや常套手段と化してます。
あまり個性的なキャラを増やさないのはこの為ですね。
キャラよりも物語を優先しているのです。
相反するようですが、私はそういうところも高く評価しているのです。
元来、読者の驚かせるトリックを仕込み、
登場人物をパーツとして扱う推理小説などが好きですので。
登場人物と物語・・・どちらが歪な形になっているかで、
どちらが良い、という事も無いんですよね。
<コードギアスはスパロボに参戦できるか?>
結論から言うと、相当難しいと言わざるを得ない
まず、日本が占領されている状態というのが障害の一つ。
日本人が主役であるほとんどのロボットアニメにとって、
厄介なのは間違いない。
そして、主人公が非合法的な手段で事を成そうとする人物な上、
その率いる組織が表向きにはほとんどテロリスト。
これが他の作品と非常に絡みづらい。
ちょっと考えてみたけど・・・・・・
俺には原作版ゲッターチームぐらいしか思いつかなかったw
あの竜馬や隼人なら、普通にブリタニア皆殺しとか言いそうだw
むしろあしゅら男爵とかの方が仲間に引き入れやすいような気がする。
『ギアス』の存在も非常に厄介。
これだと、どんな強大な組織のボスでも、
ルルーシュと顔を合わせた瞬間に奴隷に変えられてしまう。
戦うよりも、面と向かって合う事を重視すればいい事になってしまう。
それどころか、主人公らが属する味方の組織も、
普通にルルーシュに乗っ取られてしまいかねない。
また、黒の騎士団側とブリタニア側、どちらを味方にするのかという問題もある。
順当に考えれば黒の騎士団だが、地球に攻めてくる異星人の存在を考えると、
世界の大半を支配しているブリタニア側が主体となるのが自然に思える。
コードギアスは最終的には人々の憎しみを一点に集める事で
争いあう世界を一つにまとめようとしたが、
もしも人類以外の敵・・・異星人などが現れたら、
ルルーシュが悪の象徴になる必要は無い。
しかし、それではコードギアスの核たるテーマが消失してしまう。
紅蓮弐式や斬月、斑鳩などはいつ敵に回るか解らないから、
おいそれと改造したりできませんね。
いつかスパロボに参戦する事があったならば、
これらの問題を上手くクリアしてほしいものです。
<自由と平和>
コードギアスにおいて強調されているのが
「人と人とはわかりあえない」ということですね。
シャーリーは自分の善意に基づいてロロを説得しようとしました。
しかし、ロロにとっては彼女の言う事は自分の不利益になる事であり、
最後には殺される羽目になりました。
ギルフォードはコーネリアに澱みなき忠誠心を抱いていました。
しかし、それを利用されてルルーシュに容易く操られました。
マリアンヌはC.C.を信じていましたが、
結局C.C.は彼女らを見限りました。
これらから、「安易に人を信じてはいけない」という教訓が導き出されそうですが、
コードギアスでは全く逆の例も示しています
第二次東京決戦において、ルルーシュはスザクのいう事を信じませんでした。
それが遠因となり、めぐり巡ってフレイヤの発射を招き、
三千万人以上の人々を死に至らしめました。
つまり、導き出されるのはどちらが良いかという事ではなく、
善意も悪意もどんな結果をもたらすかわからない、
『人と人との関係における不確実性』をたっぷりと描いていると思うのです。
人を信じるというのはギャンブルのようなもの。
どれだけこちらが誠意を持って接しようとも、
相手がどう反応するかは決して解らない。
人は嘘をつくことが出来る生き物だから。
この不確実性こそが争いを生み、悲劇を生む。
何故戦争は起こるのか
何故不正は無くならないのか
何故人は人を殺すのか
答えは単純明快、自由だからです
裏切れるなら裏切る。
悪事を働けるなら働く。
人を殺せるなら殺す。
元来人間は、人間に出来る事ならば
何でもやってしまえる存在なのです。
全ての人間は加害者であり、また被害者となりえます。
誰だって被害者にはなりたくない。
だからこそ、暴力や道徳といったストッパーで
他者の自由を押さえつける必要があるわけです。
自由と平等は結局のところ徹底的に相反する概念と言えよう。
我々の平和は、自由の束縛によって成り立っていると言ってもよろしい。
ならば完全なる平和とは、完全なる自由の排除に
よってもたらされるのではあるまいか?
人の自由意志こそが諸悪の根源とするならば、
その自由を完全に断ち切るのがギアス。
ならばギアスこそは、人類を平和に導ける唯一無二の手段ではないだろうか。
もちろん、『手段』である以上、
それは使い方によって良くも悪くもなる『道具』であるわけだが。
封建主義のブリタニアは、圧政と虐殺を行い、
差別を生み、周辺国家から反発を招きました。
共産主義の中華連邦は、大宦官の腐敗と専横を招き、
民衆は飢餓と貧困に喘ぐ事となりました。
民主主義のEUは、戦争慣れしていないゆえに
簡単にブリタニアに滅ぼされました。
コードギアスにおける主要三国家では、
およそ人類が取れる社会システムの内主要な三つを取り上げつつ、
それらが辿る最悪の形を示している。
どんな政治も、その中心にいるのは人である。
人には自由がある。だからこそ・・・幾らでも腐敗してしまえる。
コードギアスは、現行の政治システムを
全て腐敗しうる脆いものと仮定した上で、
ギアスやアーカーシャの剣と言った非現実的な要素を加えている。
シャルルによるラグナレクの接続。
争いの根絶だけを目的とするなら、最も有効的な手段でしょう
しかし、これは進歩を望めないとの理由で却下されました。
次に提示されたのはシュナイゼルの恐怖政治。
コンセプトとしては悪くない。
全人類に決定的な恐怖を植え付けられる事ができれば、成功するかもしれません。
警察や司法も、恐怖によって人々を統制している。
ただし、やはり中枢にいるのが人間である以上、
時が流れれば幾らでも瓦解する可能性を孕んでいます。
まぁ・・・だから次に来るのは
その永続性をクリアした方法なのかなと思っていましたが、
結局最終話でルルーシュがもたらした手段も、
永続性の問題はクリアできずじまいでした。
まぁ、ここまで考えさせただけでも
終盤の展開には意味はあったのでしょうかねぇ・・・
<結論>
前述の通り、コードギアスは『人と人とはわかりあえない』事を強調してきた。
善意で言っている発言でも、相手には悪意と取られ、最悪殺される事もある。
さらには、登場人物の大半が真実を知らず、
一方的な思い込みや希望だけで他者を見、騙されるまま行動している。
黒の騎士団はもちろんのこと、妹ナナリーや父シャルルに
勝手な思い込みを寄せていたルルーシュ自身もそれは変わらない。
そんな思うようにならない人々にいう事を聞かせるにはどうすればいいか・・・
その手段がギアスであり、ゼロという偶像を用いたプロパガンダにある。
信頼や友情といった不確定な要素はほとんど重要視されない。
そう言った“人の善意”を信じる者は、大半が無残な結末を迎える事になる。
この作品は、事を成すにおいて精神論を重視せず、
暴力や策略と言った現実的な手段を重視してきた。
どちらが脚本の腕を要求されるかは言うまでもあるまい。
その点もコードギアスが多いに優れている点だ。
それだけは、最終決戦においても変わらなかったと思う。
ギアスによってブリタニアの兵士達を奴隷にし、
シュナイゼルの心理を先読みしてギアス使用、
ナナリーに対してギアス使用、
そしてフレイヤという圧倒的な暴力を奪い取り、完全なる勝利を手にする。
終盤繰り広げられたルルーシュとシュナイゼル、ナナリーらによる、
それぞれの理想の対立は、実際勝敗にはほとんど影響せず、
最終的に勝利をもたらしたのは、
冷徹なまでに現実的な知略であり、暴力だった。
コードギアスにおいて、嘘の要素は結局肯定もされ否定もされた。
そこで描かれるのは、
人間は嘘をつく生き物であり、
それによるすれ違いで破局は起こってしまう
という、厳然たる事実のみ。
あるがままの、奇跡の無い世界を描いている。
この嘘で塗り固められた世界観は、
常々物語において、さも至上であるかのように語られる
信頼や友情といった要素を疎ましく感じていた私にとって、
大変魅力的に思えました。
だからこそ、黒の騎士団は傀儡でないといけないし、
ルルーシュは我執だけに寄って行動する男で無ければならなかった。
“普通の物語”では、殆どの場合現実よりも理想が重視されるもの。
しかしコードギアスはその逆を行く。
理想よりも徹底してそれを為すための現実を重視する。
それがどれだけ悪辣で、卑劣で、醜悪なものであったとしても。
ありがちなヒューマニズムを不要と見なし、冷徹な現実を重視する。
それでいて、心躍るほどのエンターテインメントに仕上がっている。
その辺りが大変心地よく、見ていて痛快でありました。
コードギアスとは・・・
声優陣の熱演、高いクオリティのアニメーション、
意外性に徹した先の読めないストーリー、
さらに既存の価値観を否定する
冷酷なリアリズムに満ちた世界観
これらの要素が全て揃っていたからこそ、
アニメ史上他に類を見ない最高傑作になったのだと思います。
以上の結論を持って、当ブログのコードギアス総評を完結したいと思います。
他ブログ様の企画で、また語ることもあるでしょうが・・・ひとまずはここまで。
ここまで来るのに長かった・・・
閲覧者の皆様、コメントくださった皆様、どうもありがとうございました。
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