掛け声として日本中に流行らせてくれ」
人間味を持たない七花に、人間らしさを与える役割として
配置されていたはずのとがめが、
実は感情の総てを駒としてしか見做せない人間だったと判明するどんでん返し。
嘘も本心も含めて、ただ一つの目的のために総てを道具として利用できる。
とがめが人間らしさを教えているようで、
実はとがめが七花に教えられていた。
「変われるのではないかとさえ思えた。
だが、結局変われなかったのだ」
「全部、嘘だった。
刀集めの旅が終われば、私はそなたを殺すつもりであったよ。今までと同じように。
何もかもが、私にとっては奇策のための道具立てにすぎぬよ。
私の心さえ、駒に過ぎぬのだよ」
死ねと命令すれば死ぬ七花に、あえて好意的に接していたのも、
そうすることで自身の心の負荷を減らす、精神調整が目的だったのか。
心も気持ちも、利用するための道具としてしか映らない。
喜びも怒りも哀しみも楽しみも、
信頼する気持ちも、許そうとした気持ちも、
駒ではないと思った気持ちも、駒でしかない。
異端とも怪物とも呼びにくい、
自身の精神すら策のための道具として利用する、骨の髄まで「策士」だったのだろう。
「そなたに惚れても良いか」
初登場時から、策士らしくない策士と思っていたが、
最後の最後で誰よりも策士らしい策士であることが判明するとは。
「策士らしくない策士」というキャラづけ自体が、
七花を、読者を欺くための仕掛けだった。
しかし、とがめにしろ、七花にしろ、そんなに特異な存在なのだろうか。
人間、誰かに好かれたいと思うから愛情を示す。
それは、愛情を駒として使っているのと同じではないのか。
どんな人間であろうと、それが何であろうと、根本にあるのは“欲”であり、
表に出す感情も行動も、“欲”を達成するための道具でしかない。
嘘とは何か。本当とは何か。
「誰かのため」と「誰かのために戦いたい自分のため」と言うのは何が違うのか。
考えれば考えるほど、裏に更なる真実がある気がして、本当とは何なのか分からなくなる。
西尾維新の作品は徹底的に「人間の固定観念」を揺るがしてくる。
素直に悲劇で終わらせないあたりさすがは西尾先生です。
総てが明らかになった今となっては、
とがめはどう贔屓目に見ても“悪”でしかないのだろうな。
そうなると、“咎め”という名前(偽名なんだが)も意味深である。
利用できるものは利用し尽くし、用が済めば闇に葬る。
実際に何度もそうしてきたと告白している。
真庭でさえ、里を救うという目的があったが、
とがめの場合は、世直しの意志もない、
新しい未来のビジョンもない、ただただ非生産的な復讐。
そこが最も救いようのないところなのかもしれない。
十一本の変体刀が新たな使い手を得て再登場した時は
ロックマンのオマージュかと思ったが、
刀を破壊できる制約を外した七花が戦えばどうなるかを描くためだったんですねぇ。
一人当たり一分もかからず、これまでどれだけ手加減して戦ってきたかよくわかる。
最後の誠刀持ってる子がかわいいな。
ラストの右衛門左衛門とのバトルは凄まじいの一言でした。
拳銃の連射を、当たることを前提として受けることで致命傷を免れる。
拳銃は動いてさえいればまず急所には当たらないと聞きますからね。
刀を破壊することを許され、自分が傷つくことも許された虚刀流の強さ。
最後は右衛門左衛門も接近戦で戦っているし。
先月、江戸幕府が尾張幕府になったところで、
ジェイルオルタナティブであり、大きな歴史の流れは変わっていないと書いたけども、
それは四季崎もちゃんとわかっていたんですね。
だからこそ、七花を利用して家鳴将軍を葬り去る計画を立てたと。
城を真っ二つにする七花の剛力w
しかし、結局将軍の嫡子が後を継いで、尾張幕府はそのまま存続。
歴史に対する破壊活動は失敗に終わったのです。
権力の頂点を斃したところで、また別の人物が頂点に座るだけ。
権力そのものを無くすことなどできない。
戦国乱世然り、明治維新然り、
社会は、社会自体が変化することを求められない限りは変わらない。
よってやり方が完全にずれていた気がせんでもない。
虚刀流が最強であろうとも、所詮は個人の武力。
ただ一人の最強と言うことは、他の人間には真似が出来ない。
そして個人の力は必ず数の暴力に押し流される。
勝敗以前に、無視されればそれだけで存在しないに等しいことになる。
個人が社会に勝つことは絶対に無い。
「完了」と言うのも、後に誰も続かない、
一人限りで終わってしまうからこその「完了」じゃないかと思えてくる。
しかし歴史は決して終わることなく続いていく。
だから、厳しい修練を必要とせず、誰にでも扱える
「炎刀・銃」こそが最強と言うことになってしまうのだな。
実際に銃は後の歴史において他のあらゆる武器を駆逐している。
よって歴史を変えたいならば、
銃を大量生産して革命を起こさせたい勢力にばら撒けばよかった。
しかし、銃が武器の主流となる社会は
現在の歴史と同じなので、それを改竄と呼べるのかどうかは微妙なところだ。
ただ四季崎が未来を予知できるならば、「改竄が失敗するという未来」も読めるわけで、
今回の結果は彼にできる最上の成果であり、
元よりこれ以上は望めなかったのかもしれません。
結局七花たちの戦いは総て無意味だったという風にも見えかねないオチですが、
そもそも、物語が総て生産的で無ければならないなんて掟は無い。
結果に至るまでの過程を記述するのが物語であって、
そこには善も悪も、正しいも間違いも存在しないんだよね。
最強や最悪と言った言葉に幻想を交えず、
総て同列に物語の構成要素としてしか見ない、西尾維新作品らしいと思います。
アニメ「刀語」もこれにて完結。
一か月毎に放送されるだけあって、総じてクオリティは高かったですね。
全編に西尾維新らしさがふんだんに盛り込まれてました。
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